フォークシンガーの吉田拓郎さんといえば、過去幾度も結婚と離婚を繰り返してきたことで知られてます。
現在の嫁である森下愛子さんとは結婚して30年以上経つおしどり夫婦ですが、今の嫁さんにたどり着くまでにかなりの遠回りをしてます。
吉田拓郎さんは1972年の26歳の頃に最初の結婚をします。
初婚から幾度も離婚を繰り返して、今の奥さんと再婚して、ようやく落ち着いたのです。
今日は吉田拓郎さんの歴代の嫁さんと、その嫁との間に生まれた子供について書いてみたいと思います。
過去の奥さん達と離婚してしまった理由についても書いてみたいと思います。
年代 | 結婚・離婚 |
1972年(26歳) | 四角桂子と結婚 |
1974年(28歳) | 四角桂子との間に娘「彩」誕生 |
1975年(29歳) | 四角桂子と離婚 |
1977年(31歳) | 浅田美代子と2度目の結婚 |
1984年(38歳) | 浅田美代子と2度目の離婚 |
1986年(40歳) | 森下愛子と3度目の結婚 |
吉田拓郎さんは1972年に四角佳子さんと結婚するも、1975年には離婚しています。
四角桂子さんとの結婚生活は3年でした。
1977年に浅田美代子さんと再婚するも、1984年には離婚しています。
浅田美代子さんとの結婚生活は7年でした。
1986年の40歳の頃に結婚した森下愛子さんと現在までに結婚生活は続いています。
子供は初婚の四角桂子さんとの間に娘が一人生まれているだけです。
吉田拓郎さんの最初の結婚は1972年の26歳の頃で相手は歌手の四角桂子さんです。
2人の馴れ初めは1971年5月30日に、愛知県岡崎で開催されたフォークグループ「六文銭」とのジョイントコンサートで、吉田さんは「広島フォーク村」というサークルの活動の中で、四角さんと知り合ったのです。
初めて会った時から、ほう、いい女だなあって思ったよ。だいたい俺は惚れっぽい性質だしね。でもちょっと小生意気な感じもしてね。
こういう感じの女は一発やんなきゃわからないって思ったんだよ。よし、いっちょチャンスを作ってやろうと狙いはつけたわけよ
フォーク歌手として出会った吉田拓郎と四角佳子さんですが、当時の吉田拓郎さんは売れる前でお金がなく、荒れた生活を送っていました。
四角さんの吉田さんの最初の印象は良くなかったようです。
ひと言でいえば、すご~くイヤ~な感じの男だってところかな。紹介されてもね。素足に運動靴をはいて、楽屋のテーブルの上に座ったまま足をブラブラさせながら、”アッ”とか”ヘッ”とか言うだけなの。
普通の人なら”よろしく“ぐらい、ちゃんと立って言いそうなものでしょう。それも相手はウラ若き乙女だったんだから・・・
吉田さんは四角さんが所属する六文銭と仕事する機会が多く、頻繁に顔を合わせるようになったそうです。
四角さんを狙っていた吉田さんは、仕事の用もなしにわざわざ六文銭の練習場に顔を出しては四角さんに話しかけてアピールしていたのだとか。
交際に発展したきっかけは酒癖が悪い吉田拓郎さんがケンカで負傷し、そんな彼を四角佳子が介抱したことがきっかけで恋仲になったそうです。
四角佳子さんは深夜営業しているスーパーを探して、ガーゼと絆創膏を購入し、泣きじゃくりながら介抱したといいます。
1年間の交際を経て1972年に結婚し、同年6月に軽井沢の聖パウロ教会で結婚式を挙げました。
結婚した当初、吉田拓郎さんは26歳で四角さんは20歳でした。
新婚生活は東京・高円寺の2DKのアパートでスタートさせましたが、当初から喧嘩ばかりだったそうです。
喧嘩の理由としては、食事の趣味が合わない、嫁はアウトドアだが吉田さんはインドア、亭主関白の吉田さんに対して四角さんも気が強いなど、価値観の全てが真逆だったことが影響していたそうです。
吉田さんは四角と結婚する前から性格が合わないことを知っていたそうですが、それよりも四角さんの女性としての魅力が勝ち、結婚に踏み切ったそうです。
名曲「結婚しようよ」は、最初の嫁の四角さんの為に作ったとされます。
吉田拓郎さんは最初の結婚生活の内に、次の嫁となる浅田美代子さんと不倫関係にあったと有名で、世間ではそれが離婚理由だと思われています。
しかし、実際には浅田さんとの不倫と離婚は関係なかったそうです。
吉田さんは離婚を発表した1975年9月のラジオで、
ぼくは決して女房は嫌いではない。好きな女なんだ。でも、暮らしていくのは耐えられない。
と、離婚を発表する際に、”好きな女”と強調しました。
実は、吉田さんの不倫以外にも、夫婦生活が崩壊する事件は多くありました。
まずは結婚した同年5月23日に吉田拓郎さんがは公演先の金沢で婦女暴行容疑で誤認逮捕された事件です。
吉田拓郎さんは8日間勾留された後、被害を訴えた女子大生の嘘であったことが判明して不起訴となり、6月2日に釈放されました。
誤逮捕から1週間後の6月3日に開催された神田共立講堂でのライブには、小室等さん、南こうせつさん、泉谷しげるさんら友人のミュージシャンたちと共に、妻の四角さんも駆けつけ、一緒に「春の風が吹いていたら」をデュエット。
そのライブの際に吉田拓郎さんは自身の誤逮捕について、
僕のこと書いてある週刊誌をいっぱい読んでね、凄いことが書いてあったな、暴力団みたいなことが書いてあった、拓郎、部屋の中で殴る蹴るの乱暴を働く。
おケイ(四角さん)が手紙をくれたんですよ、アントニオ猪木がタイガー・ジェットシンに負けました、残念でしたって、流石に出来た女房、すごく幸せですわ。
と、語たり気丈に振る舞いましたが、その後にマスコミから激しいバッシングを受け、仕事に悪影響を与えてしまいました。
その結果、ツアーのキャンセル、楽曲の放送禁止、ほかの歌手への提供曲も放送禁止、出演CMの自粛と、芸能活動停止に追い込まれてしまい、夫婦関係にも大きな影響があったとされます。
その後に1973年に第一子の子供が誕生し、活動復活後に音楽で大成功し、夫婦の生活は一変します。
都内一等地の高級マンションに家族で引っ越し、暮らしは良くなったと思われましたが、お金持ちになったことで吉田拓郎さんの遊びが激しくなり、楽曲提供で知り合った浅田美代子さんとの不倫が始まってしまったのです。
また、離婚した2年後に四角さんが雑誌「婦人倶楽部」で、
盛大な夫婦喧嘩も何回もありました。男の人は、一方的に殴られるときの怖さというのは、絶対に分からないんじゃないかしら
と、吉田さんから暴力を振るわれていたことも明かしており、その件も離婚の原因になっています。
吉田拓郎さんと四角さんは1972年に結婚し、その2年後の1974年に第一子の女の子が生まれています。
長女の名前は「彩」です。
離婚後、四角さんが親権を持ち、娘を引き取って育てていたそうです。
吉田さんは離婚して以降、それきり彩さんとは会っていなかったそうです。
吉田さんは1999年、テレビ番組に出演した際、
この前、(20数年ぶりに)娘に会ったんだよ、自分の娘じゃなかったら口説いてたかもしれないよ
と、笑いながら話していました。
四角さんのブログによると、娘の彩さんは2003年に結婚したそうです。
この結婚式には、父である吉田拓郎さんは呼ばれなかったそうです。
彩さんはその後、子供も出産しています。
子供との仲が悪そうですが、吉田さんは彩さんの為に「彩たん」「子供に」「流星」「君のスピードで」などの楽曲を作っており、陰ながら娘のことを想っては辛い思いをしていたのではないか?と考えられます。
浅田美代子さんと吉田拓郎さんの出会いは、吉田拓郎さんが結婚した1年後で、娘が生まれた同年の1974年でした。
馴れ初めは浅田美代子さんが18歳だった1974年に、吉田拓郎さんが楽曲「じゃあまたね」を提供し、浅田さんが吉田さんのラジオに呼ばれたことです。
ラジオの共演で仲良くなり、電話番号を交換したのです。
当時の浅田美代子さんは売れっ子アイドルで、しかも厳格な家庭に育ち恋愛とは無縁の純粋な少女でした。
大人になって同年代の女の子が青春を過ごしているのに、”自分は仕事ばかりで青春がない”と不満を感じていたときに出会ったのが、刺激の塊のような吉田拓郎さんだったのです。
1975年にはテレビドラマ「なつかしき海の歌」でも共演し、ふたりの仲は急接近しました。
共演を通じて仲良くなった後の浅田美代子さんの誕生日に、吉田拓郎さんが「浅田さん、もうすぐ誕生日では。みんなで祝おう」と誘い(電話に出たのは母だった)、吉田さんに指定されたお店に向かうと、店内には吉田拓郎さん一人しかいなかったそうです。
これまで自分を口説こうとしてきた人は、親やマネージャーの壁を破れず退散していた背景もあり、浅田さんは吉田さんの大胆な行動を「なんて男らしい人なんだろう」と虜になってしまったのです。
私よりも10歳年上の吉田さんは、いつも堂々としていて余裕があって、愛を表現することのみならず、全ての行動がストレートでエネルギッシュな人だった。そんな吉田さんは、私にとって頼もしく、一際、かっこよく感じられた。
学生時代の淡い恋をのぞけば、大人の階段を登り始めてからの初めての恋だ。恋にも青春にも飢えていた私にとって、吉田さんから得られたときめきや刺激は新鮮であり、貴重なものでもあった。
その後に不倫関係になった二人ですが、浅田さんと親交のある内田裕也さん&樹木希林さん夫婦が彼女を心配し、吉田拓郎さんが飲んでいる所に乗り込んで一喝したこともあったそうです。
内田裕也さんが吉田さんに「どういうつもりで付き合ってんだ、お前!」と詰め寄ると、吉田さんは「真面目に付き合っています。結婚するつもりです。」と真剣交際をアピール、すると内田&樹木夫妻は、安心して帰って行ったそうです。
ちなみに吉田拓郎さんは表向きは「恋愛感情はない。妹のような存在」と不倫関係を否定、その一方で浅田美代子さんは、
拓郎さんが好きです。奥さんや子供さんがいてもかまいません。誰が何と言おうと交際をやめません。
拓郎さんの奥さんと子供に会ってみたい
と不倫関係を堂々と公言し、彼女らしい天然なのか挑発なのか分からない発言をしていました。
浅田美代子さんとの不倫問題が世間で話題になる中、吉田拓郎さんは結婚からわずか3年後の1975年に正式に四角さんと離婚をしました。
吉田拓郎さんは離婚の理由は不倫だけでないとし、離婚後のインタビューでは「子供は欲しかった」「子供が出来たら変わると思っていた」と、自分自身が子供の為に変われると淡い期待を持っていたが、変われなかったことを離婚の理由に挙げていました。
ちなみに吉田さんは浅田美代子さんに交際1年目にプロポーズしましたが、当初、浅田美代子さんの両親は大反対したそうです。
浅田さんが結婚の話を切り出すと、父親は怒り狂ってしまったそうです。両親だけでなく事務所も仕事仲間も結婚には反対だったそうです。
浅田美代子さんは結婚を決めた理由について、
『1つは、あまりにも多くの人に強く反対されたから。』
と反抗心の反動で吉田拓郎さんとの結婚を受け入れたことを明かしています。
二人の結婚をアシストした人に、樹木希林さんの存在もありました。
樹木希林さんは浅田美代子さんに、
『結婚したら芸能界を引退して欲しい』
『専業主婦をちゃんとやれたら、人間として何でもできるようになるわよ。家を切り盛りするんだよ。しかも、報酬もないのに、家族のために尽くせるなんてすごい仕事だよ。美代ちゃん、やってごらんよ』
と、前向きな言葉で背中を押したそうです。
さらに、樹木希林さんは結婚に反対する両親を説得しに、実家まで来てくれたそうです。
結果的に、吉田拓郎さんと浅田美代子さんは1977年に再婚することなったのです。
結婚当初はラブラブだった吉田拓郎さんと浅田美代子さん。
しかし、結婚生活が楽しかったのは最初の1年だけだったそうです。
「最初の1年は楽しかったけで、2年目からは頭がおかしくなりそう」
と、浅田美代子さんの私生活でのガチの天然ぶりに頭を悩ませたそうです。
すぐに結婚生活は崩壊していたそうで、浅田さんとの間には当然、子供も生まれませんでした。
結婚して5年後の1983年6月には吉田拓郎さんが、現在の嫁の森下愛子さんとの不倫が報道されました。
吉田さんは週刊誌の直撃取材に対し、
愛子ちゃんは好きだよ。でも、スキがないんだよな。先のことはわからないねぇ
と、森下さんとの不倫を全面的に認めました。
当初、浅田さんは旦那・吉田の不倫疑惑に対して、
拓郎は昔から愛子さんのファン。一緒にお酒が飲めて楽しいんじゃないのかな。
森下さんのことも主人から聞いていましたから全然心配していません。(浮気性は)あの人のクセですから直んないんです。悪いことしてても憎めないんですよねぇ。
と、まさかの吉田さんの不倫を肯定したのです。
吉田さんの不倫を肯定しながらも、不倫報道があった年の10月には急遽仕事復帰を果たすなど、不穏な動きはありました。
そして、不倫報道から1年後の1984年8月に浅田美代子さんと吉田拓郎さんは正式に離婚を発表しました。
吉田拓郎さんは離婚会見で、
離婚しないですむ方法はないかと真剣に話し合った。子供をつくったら、ということも考えたが・・・
いい家もあるし、いい女房もいる。不満はないはずなのに、結局わがままなんですよ
家庭におさまるには自分は若造すぎる
最近いい曲も書けんし、もの作りするには家庭があってはいかんと思った。これからお互い自由に気兼ねなく会いたい。離婚したあとはいい曲が書けそうだ
と、あくまで自分は結婚不適合者で、今後も音楽最優先で生きていきたい節の発言をしました。
慰謝料に関しては、別れる際に自分の全財産を浅田美代子さんに渡したそうです。
離婚するときに全財産やっちゃって、次へ行く。それは、力ッコいいことじゃないんだよ。それは自分のためなんだ。自分の保身。自分を守るために「全財産あげる」と。それを半々にしちゃったら、自分が情けない。
全部あげて「申し訳ありませんでした」と。とりあえずアポロジャイズ。許しを請うんだよ。離婚では俺もいっぱい勉強させてもらったよ。
吉田さんなりに不倫は悪いことで、しっかりと謝罪の気持ちがあったことが伺えます。
1983年の6月、吉田拓郎さんと森下愛子さんの不倫報道が世に出ました。
それから1年後の1984年の8月に、吉田拓郎さんは嫁・浅田美代子さんとの離婚を発表しました。
そして、浅田さんとの離婚から2年後の1986年に、不倫相手であった森下愛子さんと吉田さんは3度目の結婚を果たしました。
40歳にして3回目の結婚となりました。相手の森下さんは12歳年下でした。
二人の馴れ初めは前妻・浅田美代子さんと結婚3年目の時に、自身のラジオ番組に森下さん(当時23歳)をゲストに呼んだことがきっかけで、知り合ったそうです。
実は吉田拓郎さんがラジオに呼んだゲストと不倫関係になったのは2度目です。
最初の嫁・四角さんと既婚の時期に浅田さんを呼び不倫関係に、そして浅田さんと再婚した後に森下愛子さんをゲストに呼んで不倫関係になったという、ラジオを通じて同じパターンで不倫を繰り返したのです。
森下さんはオファーが掛かった当初は、周囲から吉田さんの下心が見え見えだったために止められたそうで、吉田さんもそれを悟って、安心できるようにと、友人でシンガーソングライターの小室等さんを同席させました。
結果的に森下さんも親友の竹田かほりさん(現・甲斐よしひろさんの奥さん)と一緒にゲスト出演する形となり、4人で番組を進行させました。
お互いの気使いもあってから、すぐには恋仲にはなりませんでしたが、共演から2年後に偶然にも同じ美容院で再会し、「今レコーディングやってるんで、見に来ませんか」と誘い、結局は不倫関係になったということです。
森下さんは吉田さんに誘われた当初のことを、
普通なら絶対に行きませんが、当時はお互いさびしい時期だったようで、つい行っちゃたんです。それがきっかけで会うようになりましたが、友達のような関係の時期が長くて・・・
と振り返っています。
ちなみに裏話として2013年に中村雅俊さんが「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」にて、当時の吉田さんと森下さんをくっつけたキューピットになった逸話を話されてました。
中村さんが森下さんと飲んでる時に、「いま、森下さんと飲んでるんだけど来ませんか」と吉田さんを呼び、3人で朝まで飲んだ後、中村さんはドラマの撮影の都合で帰るため、「拓郎さん、ホテルに行っちゃいなさい」と立ち去り、吉田さんと森下さんは本当にホテルに行くことになったとのことです。
吉田拓郎さんは過去に2度の結婚と離婚を繰り返した末に、運命の女性・森下愛子さんと結婚。
結婚した当初、世間からは「どうせまた吉田の不倫で離婚する」と揶揄されましたが、結婚して30年以上経ちますが、離婚する気配はありません。
むしろ、定期的に夫婦で仲良くしてる様子が週刊誌に載ったり、インタビューでどちらかが相手のことをべた褒めするなど、ずっとラブラブなのです。
新婚の頃は衝突が多く、喧嘩ばかりだったそうですが、次第に息が合うようになったそうです。
森下さんがうつ病になった際は、落ち込む彼女を真正面から受け止め、引っ越しして環境を変えるなどして吉田さんが支えてくれたそうです。
仕事復帰を支えた結果、うつ病は良くなったそうで、森下さんはそのことを永遠と感謝してます。
吉田さんも森下さんとの結婚生活が楽しいようで、過去に、
うちの奥さんがベストパートナーと思えた瞬間ってのは、もしかすると今かもしれない。あの人がいないと困るね。単純に愛妻家とか、そういうのじゃないんだけど。
今は恋愛時代の熱いものとは無関係の時代に入っちゃったからね。結婚生活はふたりの作品だから。ふたりで「日常」という作品を作ってるから、何年何十年とね。日一日作っていくわけでしよ、日常ってヤツをテーマにして。
と発言されています。
そして、2021年には「これからの老老人生、ふたりで協力して、できれば明るく、できれば平穏に、できればより長く、助け合って生きていこうと思っています」と、最後の最後まで二人で過ごしたいと語っています。
吉田拓郎さんは病気の影響もあってか、歌手引退を発表されていますが、嫁の森下愛子さんも一緒に女優の仕事を引退するそうです。
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